21年前。私は、出産を控え直前まで営業職として働いていました。
そんな時期から始まる介護の記憶。
当時、私は30代。「この状況をわかってくれる人がいない」ことが、大きな悩みだったのです。
今も同じようなことで苦しむ人がいるかもと思い、書いています。
出産はみんなが喜んでくれた
母と義理両親が、出産のお祝いに集まってくれました。
みんな元気で、ニコニコして。
ちょっぴり小さくて心もとない長男だけど、みんながただただ喜んでくれて、ありがたいと思いました。
幸せのピーク
この時撮った写真は、私自身は回復していなくてまだパジャマ姿。私の30枚だけのベストショットアルバムに収めています。
講座やセミナーでは、ほかの写真と一緒に皆さんに見ていただいています。
母から学んだ謙虚
息子は誰のもの?
小さな赤ちゃんは、お腹を痛めて産んだ私のもの?
と思っていましたが、母が態度で示したのは、
うちに来て、義理両親に向かって膝をつき、
「この度は、おめでとうございます。」
(えっ、あなたの孫じゃない!?)
金封を添えて挨拶をしているのを見て、目が覚める気持ちがしたのです。
母の印象
私の脳裏にいつまでも焼き付いているのは、優しくておしゃれで、きちんとした母。
(私の3人目の介護と看取りは、この母でした(泣)。
崩壊していく人格を目の当たりにしなくてはなりませんでした。)
実は、家庭での母自身はいろいろ難あり。
父が亡くなってからは生き甲斐を失って、年を取るごとに片づけられなくなってしまったのです。
そんな見慣れた人とはまったく違っていて、家とか立場とかをわきまえることは凛として美しいと感じさせられました。
親世代の価値観
父がよく言っていた言葉、仁義礼智。私自身には深く根付いていないけれど、子供を産んだら、大切なことなのかと思ったのです。
ただ、今から思えば、美しい思想が人を幸せにするとは限らないですね。本音と建て前のギャップができてしまうからでしょう。
義父の徘徊の現実
家族で写った写真は幸せの一コマ。
数年後には、まったく違った形になってしまったのは、今となれば感慨深いです。
その翌日、関東の親戚を訪ねた義理両親。
途中の駅(上野駅か日暮里駅)で義父が行方不明になって、その騒動で、ぐったりして帰ってきました。
かすかな不安
(大人だけれど目が離せない。)
ふわふわの赤ちゃんを抱えた私の心に落ちた一点の染み。
さらにひろがるのに時間を要しませんでした。