ダブル介護の記憶のその前
2歳の息子と北海道に住み込んで、義理の父と母を介護しました。
息子は発達の遅れがあって、不安を抱えながら過ごした日々。
私のダブルケアと子育て記が記事になって
先日、ライターさんが私のダブルケアの経験を聞き取って、それが東洋経済社のウェブ記事になりました。すぐヤフーニュースにも転載されました
300を超えるコメントが入りました。
多かったのが、似たような状況の方、経験者からの共感です。
そして、目を引いたのは、私のケースでは子供が犠牲になる状況であって、なんで逃げなかった、東京の自宅に帰らなかったかという意見です。
逃げ帰ってよかったの?
そうしたら、子供を抱えて私の居場所がなくなってしまうと思っていました。それに、介護は「嫁」がすべき仕事と刷り込まれていたし、いい嫁、いい妻、いい母になりたかったのです。
のちの子供の立場も考えると思いきった行動をとることすら考え付きませんでした。結局は子供にしわ寄せが行ってしまいましたけれど。
嫁は無償の家政婦
ニューヨーク駐在時代
私は、1990年から1996年までニューヨークに住んでいました。会社を休職し、夫の駐在に同行したのです。
1994年ころ、義妹ががんになり病院に入ったため、ニューヨークから一日半かけて北海道に飛んで、義妹の家に住み込んで義妹の夫と子供たちの世話をしたことがあります。
義妹一家の住み込み家政婦として
義母の希望を夫が聞いて、妻の私が派遣されたのです。
甥と姪は小学生と幼稚園。
かわいくて優しい義妹のために
義妹は、本当に心の優しい、よく気が利く人でした。
明るくて、誰からも愛され、いっつも一生懸命。
とってもいい子なのにかわいそうで、少しでも役に立ちたいと思って、現地に向かいました。
嫁は無償の家政婦
私は30代前半。いい「嫁」になりたいとも思いました。
嫁は、世間でも「無償の家政婦」という扱いは普通にありました。特に義理実家はそういう意識があったと思います。
家政婦失格!?
義妹一家の住み込み家政婦になりましたが、実は、私は出来が悪かった。
私の夫は家事はなんでもできるのに、義妹一家は、その夫も息子も、男性は何にも家のことをしようとしないのです。幼稚園生の姪は、かわいいけどなかなか難しい年頃でした。
自分のことは自分でできたほうがいいでしょ?
元気な人は、ご飯を作って、掃除をして、自分たちで健康管理をしたらいいと、毎日張り切ってレクチャーしちゃったのですね。
その態度は、嫌味ととられたのかもしれません。一か月もたたず、追い出されてしまいました。そもそも、私にはスーツケースに詰め込んだ荷物しかなく、暮らしには無理があったのですが。
当時私には子供がいませんでしたし、レストランを探すのが大好き。共稼ぎ時代は、週3回は外で夕飯をいただいていたのです。海外旅行とゴルフが趣味で、仕事は続けたかったのに無理やり帯同させられて家政婦どころか「主婦」という意識がなかったです。
嫁としても失格
こんな嫁を義理実家では良く思わなかったかも。
その後、義理実家に住み込んで介護するにあたって、「私は良く思われていない」と感じたのは、この流れがあったからだと思います。